「日本人」という病

日本人の多くは、日本の現状を嘆いたり、憤慨したりするが、それに自分自身が加担していることに、あまりに無自覚である。自分のかかわりのないところの制度や組織を改変することで、日本を「改革」したいと漠然と願っているが、自分自身の意識改革ということに思い至らないのである。

「明日の企業を考える」というテーマの論文を書かなければいけないことになって,最近色々とネタを探しているのだけど,書きたいと思えるテーマに近いようで遠いような本を図書館で借りて読みふけってしまっている.
年金未納問題だとか,スキャンダルと呼ぶにも頼りないゴタゴタを見せられた後では,道路公団改革だとか,年金改革だとか,結局法案が成立する頃にはどうでもいいんじゃないの,とうんざり気味に感じ始めてしまっていた.ひょっとしたらそれを意図した功名な政権運営だったのかもしれないけれど…
先のような指摘をする政治家なんて現れないだろうし,そんなことを政治家に言われても困る.むしろ,そのような「日本人の病」をうまく利用しているのが,「都市部無党派層向けの」大衆迎合主義みたいになっていたりするのかも知れないと思った.
そして,「自分自身の意識改革」なんていうのは,確かにしんどくて面倒くさそうで,テレビを見ながら政治家の悪口を言っているほうが100倍気楽だという事実に乗っかってしまっている自分にも困る.