エルサレム賞

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

イスラエル最高の文学賞エルサレム賞」の授賞式が15日、エルサレムの国際会議場であり、受賞した作家の村上春樹さん(60)に賞状などが贈られた。村上さんは受賞演説でイスラエル軍による先のパレスチナ自治区ガザ地区攻撃に言及、人間を殻の壊れやすい「卵」に例えて尊厳を訴えた。
村上さんは、英語で演説し、ガザ攻撃について「1000人以上が死亡し、その多くは非武装の子供やお年寄りだった」と言及し、事実上イスラエル軍の過剰攻撃を批判した。日本国内で受賞拒否を求める声が上がったと説明するとともに、「私は、沈黙するのではなく(現地に来て)話すことを選んだ」と述べた。

村上春樹さん:ガザ攻撃を批判 イスラエル文学賞受賞演説で - 毎日jp(毎日新聞)

村上春樹氏がエルサレム賞を受賞。この賞は「社会における個人の自由」について執筆した小説家に贈られる賞で、ガザ地区を取り囲んでいるイスラエルという国が賞を贈ること自体が大きな自己矛盾を含んでいる。
そんな状況で賞を受け取るという選択をして、現地に赴いてスピーチをしたということがニュース性をもって報道されているけれど、リンク先でスピーチの全文(多分)を読むと、その内容自体が素晴らしいものになっている。
報道された直後は、各社のニュースがYoutubeに(無断で)投稿されていて、中でも、テレビ朝日報道ステーションでの取り上げ方が詳しかったのだけれど、残念ながら削除されてしまった。

僕たちはそれぞれ――多少の違いはあっても――高くて固い壁に直面しています。その「壁」の名は、そう、「システム」です。システムは僕たちを守りを固めるためのものですが、しかし時折自己増殖して、冷酷に、効果的に、システマティックな方法で、僕たちに殺し合いをさせるようし向けます。
僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。それは個々人の魂の尊厳を立ち表わせ、光りをあてることです。「物語」の目的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、その品位を落とすことを防ぐために、警戒の光りをあて、警鐘を打ち鳴らすことです。
僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕たちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです。

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290

村上氏が批判したガザ攻撃、「ユダヤ系の国家がアラブ系の人々を迫害して、子供やお年寄りが殺されている」というのは、もちろん事実であり、許されないことではあるのだけれど、これはあくまでも"あるひとつの事実の側面"に過ぎないのであって、"真実"をすべて語りつくしているわけではない。
ガザ地区で起こっている出来事は、"システムが個の魂を叩きのめしている"状況が、とてもクリアに現れているという点で、とても特殊な状況であるのかもしれない。だけど、このことはテレビの向こう側だけの話ではなくて、平和な日本で暮らす人々にとっても、決して他人事ではない。程度の差こそあれ、日々の日常生活の隅々にまで"システム対個"の構造は入り込んできている。そして、いつ何時、一人歩きし始めたシステムに個が侵食されたとしても、まったく不思議ではない状況にある。

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

あなたは誰か(何か)に対して自我の一定部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?

人格、あるいは自らの物語を、システムに対して明け渡さないようにすること。あるいは無意識の内に、思考停止に陥らないことが必要。システムの暴走は歴史的にもずっと昔から繰り返してきているし、おそらくは今後も周期的な暴走は避けられない。
一人一人が自分自身の物語をしっかり抱え続けていくことが、暴走を回避する唯一で最良の手段。
うつろな人間 - gt-uma