物理学者、ウォール街を往く。

物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進

物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進

フィッシャーの最も注目に値する特徴は、頑固さであり、細部にわたる明確さと簡潔さを追求する姿勢であった。
彼は論文中に方程式を入れないことを望んだ。彼のアプローチは、恐れを知らない冷静な思考と直感と、高等数学に対して過度に依存しないことから成り立っているように見えた。彼は、偉大な経済学的直感によって導かれていた。彼の数学的技術は普通のものだったが、彼の直感は非常に優れたものであり、数学に頼る以前に洞察に達しようと努力を重ねる面において粘り強かった。
フィッシャーの最後の論文は、彼の逝去により未完成に終わったが、『ファイナンシャル・アナリスト・ジャーナル』誌に掲載された。論文名は「オプションとしての金利(Interest Rates as Options)」であったが、そこでは短期金利そのものがコール・オプションと類似していることが指摘されている。
彼の提出した手紙には次のように記してあった。「査読者が示唆してくれるであろう点を改訂することは自分にはもうできないかもしれない。そうであったとしても、論文の主旨が受理されるものであるならば、背景を説明した上でこの論文を発表していただくことはできないだろうか」。

素粒子物理学の研究者から、ゴールドマン・サックスクオンツに転身した著者の自伝。クオンツとは金融派生商品の価格付けや、リスク管理のための数学モデルを構築して、トレーダーに提供する職業。
著者のエマニュエル・ダーマンは、「ブラック=ショールズ微分方程式」を開発したフィッシャー・ブラックと一緒に仕事をしていて、上の引用は95年に逝去したフィッシャーを回想してのもの(フィッシャ死後、共同研究者は、この成果でノーベル賞を受賞した)。
冷戦の軍拡競争時代、アメリカではロケットを飛ばしたり軍事目的の研究のために、理論物理学者を量産していた。それがブームがすぎると過剰な博士課程修了者を生み出すことになり、溢れ出した研究者が金融工学に転身してウォール街の成長を支えていた(日本でも、大学院重点化による博士号量産でここ10年ぐらいは同じような状況になっている。日本にもウォール街に相当する受入口ができれば、色々ブレイクスルーも起こりそうなのに、今はまだ停滞している)。
この本の前半でも、まさにそのような、好きな仕事はできるけどフラストレーションがたまる日々、という微妙な心境と、そこからどんな転身があったのかというストーリーが綴られていて興味深い。
自分が学生だったときの指導教官は航空工学出身で、現在は金融工学やビジネス・インテリジェンスに転身した経歴で、著者との類似点を知る。同級生にも転職をしてクオンツになった友人がいて、アカデミックな世界に片足を突っ込んでいるような仕事ぶりの話を聞いて、うらやましいなと思ったりもした。
そんな経緯で、この分野には憧れのようなものを持ってはいるものの、結局学生の間には、金融工学の入口にたどり着くことすらできなかった(測度論だとか微分方程式だとか、その一歩手前をかじって消化不良を起こしたところで、時間切れとなってしまった)。物理学者は凄い。