走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについての、村上春樹の本。「あとがき」で次のように述べられているように、エッセイではない。

僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのように生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。

ここで述べられていることの多くは、既刊のエッセイや村上朝日堂ホームページ(インターネット上での読者との電子メール交換の記録)などで、断片的に語られてきたことである。
だけど、「デタッチメントからコミットメントヘ」という大枠の変化については、この本で初めて語られたものだと思う。これは、オウム真理教事件阪神大震災を経て、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)」などで語られてきたことであり、実際に「ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)」以降の小説でみられる変化を表したものだ。

日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない。つまらない正論を述べるようだけれど、いろんな人がいてそれで世界が成り立っている。他の人には他の人の価値感があり、それに沿った生き方がある。僕には僕の価値観があり、それに沿った生き方がある。そのような相違は日常的に細かなすれ違いを生み出すし、いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。その結果故のない非難を受けたりもする。当たり前の話だが、誤解されたり非難されたりするのは、消して愉快な出来事ではない。そのせいで心が深く傷つくこともある。これはつらい体験だ。

ここまでが、「デタッチメント」の側面。そして、続く文章で「コミットメント」について述べられる。

しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった。考えてみれば、他人といくらかなりと異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ。僕の場合で言うなら、小説を書き続けることができる。ひとつの風景の中に他人と違った様相を見て取り、他人と違うことを感じ、他人と違う言葉を選ぶことができるからこそ、固有の物語を書き続けることができるわけだ。そして決して少なくない数の人々がそれを手に取って読んでくれるという稀有な状況も生まれる。僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の対価である。

何かを求めて、何らかの事柄とコミットするためには、戦う(あるいは、対価を払う)ことが必要となる。
「デタッチメントからコミットメントヘ」という変化は意味があるようにも思えるけれど、上っ面で起こる現象的な変化に過ぎない。むしろ、言外のこととして、「自分が何を求めているか」ということが常に根底に横たわっている。