グレートギャツビー

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー』において、文章家スコット・フィッツジェラルドの筆は、二十八歳にしてまさにその頂点に達している。ところがそれを日本語に翻訳すると、そこからは否応なく多くの美点が損なわれ、差し引かれていく。
賞味期限のない文学作品は数多くあるが、賞味期限のない翻訳というのはまず存在しない。翻訳というのは、詰まるところ言語技術の問題であり、技術は細部から古びていくものだからだ。

「グレートギャツビー」は、20歳のときにインドに旅行していたときに持っていった。恐ろしく長い列車の待ち時間だとか、一緒に行った友人が腹を壊してベッドでうんうんと苦しんでいるときに、宿の入口の日の当たる場所で一人読んでいたりした。そして27歳になったいま、村上春樹の新訳で、タイの旅行の帰りの飛行機で読み始めて、今日読み終えた。
読み返してみると、細部のところでこういうことだったのかと感じるところもあるけれど、これは何しろ7年も前のことだから、筋を忘れてしまっていただけのことかもしれない。そして、上に引用した訳者コメントにもあるように、28歳にして偉大な達成をしている人がいると聞くと、やはり少しどきっとしてしまうことになる。

フィッツジェラルドという作家は、自分が体験したことや、自分が目撃したことをもとにして物語を拵えていくタイプなので、このグレート・ネックでの騒々しい日々がなかったとしたら、おそらく『グレート・ギャツビー』という傑作は誕生していなかっただろう。あるいは、執筆に沿って同時進行的にもたらされる感情の騒擾みたいなものこそが小説家としての彼が無意識的に「滋養」として求めていたものなのだ、ということもできるかもしれない。

これはフィクションだけれど、ある意味では「本当にあった話しなのだ」ということは、色々と驚かされる。