フューチャリスト宣言

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

シリコンバレーコンサルタントと、ソニー研究所の脳科学者との対談。
フューチャリスト(未来学者、未来派の人)とは何か?

ネットに関しては、僕はユーザに徹する。そのかわり、僕は一介のフューチャリストになりたいと思っています。フューチャリストになるためにはギーク的なものを突きつめるのとは違う覚悟がいる。人間というものを総合的に理解しないと。そのためには、まさに「知の総力戦」。ありとあらゆるものを動員する。
フューチャリスト的な仕事をしたいと自然に思うということは、未来はいいものだと思っているということですよね。未来は明るいはずである、いろんなことを努力していけば、全体として未来は明るい、そうあってほしい、そういう未来を作り出したいという意識がある。
「未来が良いものだ」と思わなきゃ、そんなフューチャリスト志向はもてないですよね。

この話を会社員に当てはめると、「ギークスペシャリスト(専門職)、フューチャリスト=ゼネラリスト(総合職)」と、読み替えもできるか。
学生の頃に"就職準備セミナー"なるものに参加すると、まず初めに「スペシャリスト」になるか「ゼネラリスト」になるかという、二分法の選択が必要だと知らされる。
自分が仕事を探していた4年前は、「総合職採用をぐっと絞って固定費を圧縮」だとか「製品領域ごとに世界シェアNo1,2以外は生き残れないため、専門職は事業部ごと合併・売却で切り売りされる」など、いずれの道を選んでも先行きは不透明で不安定、仕事探しは辛く厳しいサバイバル競争だという、ネガティブな印象を受けていた。
いわゆる大企業では、いずれを志向しても先行きが不透明になっているというのは、恐らく正しいのだろうと思う。そうであるならば「専門職/総合職」という枠組みではなくて「好きを追求して、未来を作れると信じる(ギーク/フューチャリスト)」か「中途半端で終わる(それ以外)」かが、(当たり前だけど、)より大切な考え方になる。

脳の神経細胞のネットワークは、半ば規則的でありながら半ばランダムな結びつきを持っていて、その組み合わせによって、いまのコンピュータには発揮できない人間の創造性というものを生む。その秘密の一端が、脳のネットワークのスモールワールド性(一見遠く離れているものどうしも、少数のノードを通して結ばれている性質)にあるようだというところまで明らかになってきたと我々は考えています。
その意味で、何億年の進化を経てできあがった脳のシステムに相似する事象が、人間の作り出したインターネットにおおわれた「グローバルビレッジ」のなかで生まれ始めていることには若干の脅威をいだいています。さらには、脳とインターネットの共進化といった事態が起こりかねないことに、畏れすらいだいている。

脳の神経細胞のネットワーク(ニューラルネットワーク)のモデルでは、一つ一つのノードの計算処理能力(自由度)が限定的でも、リンクによって密に結合されると、すばらしく柔軟で高度な処理ができるようになる。また、多くの事例とその結果の良否を繰り返しモデルに与えると、最初はランダムだったネットワークが徐々に自己組織的に構造化されていくという強化学習の枠組みがある。
これは「一つの脳の中で神経細胞同士が協働」する構造だけれど、SNSWikiやブログなどインターネットの発達によって、「世界中の人間同士が協働」する仕組みととても似ている。これまで地理的・時間的な制約で限定的だった「協働」が、恐ろしく効率的になる。
これは村上春樹のいう「井戸の底で他者と繋がる」といったことがグローバルに可能とするインフラになり得る。個人のレベルでの共同体の構成単位が「ムラ」から「国家」になり、そして「世界規模」になる。