半年前

ちょっと空いた時間があったので、携帯から自分のウェブログにアクセスして、過去の文章を久々に眺める。学校を出る間際に行ったタスマニアでの旅行の記録を見ていると、ほんの半年前のことなのにとても懐かしくて親密な気分になる。
基本的に一人で周っていたのに、小さな島なので多くの人達と旅程の中で再開することもしばしばだった。それぞれの人とは宿やキャンプ場や山小屋で一晩話したりビールを飲んだりするだけだったのだけど、いつもそこには親密な空気があった。
いま振り返ると、そのような親密さは(もちろんツーリング中だったり、縦走中だという共通項もあるけれど)基本的に一日かぎりの付き合いだという大前提の下で発生してたんだと思う。いうまでもないけどそれは素敵な時間の使い方だった。
自転車で島を周って、キャンプをした最後の夜、やはり自転車で島を周っていたスイス人女性に、ぼくは「いかに日本で長期休暇をとるのがむずかしいか」を話していた。すると「あなたはきっと生まれる国を間違えたのよ」と(冗談を)いった。帰国して、同じ研究室にいたフランス人にその話をすると、「僕の(日本人の)彼女も、生まれる国を間違えた一人なのかもしれない」といった。その彼女は、卒業してから転職を繰り返し、どうもうまくいってないのだという。
深夜特急沢木耕太郎さんは、入社して数日後に「雨の日に傘をさしたくないから」と言って、会社をやめた。だけど(あたりまえだけど)自分はそんなことはしない。無難と堅実を重んじる血筋がそうさせたわけでもない。ただどこにも属さずにいることの面倒臭さがとても嫌なのだろうと思う。
小さな町のユースホステルで同室だった、「旅に擦れてしまった」もう青年とも呼べないドイツ人とオーストラリア人の二人のことをを思い出す。
どこかに属することは、面倒臭いとも思えることもしばしばだけれど、そうしないことの面倒臭さを、(あくまで他人を通してだけど)、今ありありと思い出す。そして生まれる国なんて関係ないのだとおもう。

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全体的にネガティブなトーンの文章になった気もするけど、実際はたぶんそんなこともない。