キアオラ・ハット→新ペリオン・ハット

f:id:gotouma:20040309122737j:plain
9:20-10:20 キアオラ・ハット→ペリオン・ギャップ
11:00-13:00 ペリオン・ギャップ→新ペリオンハット

7時起床。ハットの中で白米と味噌汁の朝食をとり、9時出発。振り返ってみると、オーバーランド・トラックの行程では、大体起床から出発まで2時間ほどかかっている。テントの片付けもないのに2時間とは、今になってみるとずいぶんのんびりしているように感じる。この日は、前日のハットへの到着が遅かったこともあり、既に小屋に備え付けのベッドは埋まっており、床にマットを敷いて寝袋で雑魚寝をしていたはずだ。したがって、起床の時間・朝食の時間は他の登山者とそれほど変わることもなかったはずである。出発の時間にしても、特に自分が遅かったということもないので、これらの時間の流れ方が標準だったのだろうと思う。

この日の行程は、オサ山と東ペリオン山に挟まれた峠であるペリオン・ギャップを超えて、ペリオン平原の入り口である新ペリオン・ハットに至るまでの8kmの道のりだった。事前にガイドブックで調べているときには、比較的時間には余裕があるはずなので、ペリオン・ギャップに荷物を置いてオサ山を登ろうと考えていた。

ハットを出発して、ペリオン・ギャップに向かって歩き始める。しばらく歩みを進めると、道は森を抜けて草原に出る。草原の向こう側にはオサ山や東ピリオン山が見えるはずなのだけど、雲に覆われて何も見ることはできない。歩き始めてみると、昨日までは荷物の重さに苦しめられていたのに変わり、今日は足のマメが気になるようになって、コースタイムも遅れがちとなる。荷物の重さは自業自得といえるけれど、足のマメについてはなんともならない。

重たいザックを背負いながら、オーバーランド・トラックへの出発の前夜のことをふと思い出す。カーウィンはバスの隣の座席で話しながら、さりげなく僕のシート前の荷物入れに入っているガイドブックを目にして言った。「無駄な重さはできればバスにおいていったほうがいいんじゃないの?」また、レストランでビールを注文していたときにも、手元の細かい小銭でジャラジャラと支払いをしながら、「少しでも軽いほうがいいよね」と、僕に言っていた。彼は荷物を軽くすることの大切さをよく分かっていたのだと思いながら歩みを進める。日本から持ち込んだ荷物は、自分なりに厳選してきたつもりだったのだけど、セントクレア湖行きのバスに乗り込むときに、「山歩きに必要なもの/不要なもの」の選別が不十分だったようだった。繰り返すようだけど、僕ほど重い荷物を持った人は、まだこの行程のなかではそれほど出会っていない。

草原の道を歩いていると、向こう側から40台くらいに見える男性が歩いてきて、すれ違いざまに情報を交換する。彼は既にペリオン・ギャップを超えてきていた。話によると、やはりオサ山は曇っていたそうだったけれど、「オサ山の天気がだめなら、反対の東ピリオン山に登ればいい」という。10時20分にペリオン・ギャップ着。峠からどちらの山を見渡しても、雲に覆われていることもあり、(そして歩くことにしんどさを感じていたこともあり、)その場で紅茶を沸かして行程を進めることに決める。峠は木張りの休憩をしたり、荷物を置くことのできるスペースが用意されていたけれど、誰かがここに荷物を降ろして、山を登っているような様子も見られなかった。

下山の道は、主に深い森の中を下っていく道。道沿いに横たわる巨大な倒木や、そこに深く覆いかぶさっている真緑のコケのある風景は、宮崎駿の描く森を想い起こさせる(写真)。下山の行程は足のマメへの衝撃も大きくてつらい。

13時、新ピリオンハット着。この山小屋は、名前のとおり最近に建てられたもので、雑魚寝ではなくて2段ベッドが幾つか並ぶ部屋が複数用意されていて、とてもきれいでヘリポートまである。立地も、森と草原との境に建っていて、草原の向こうには荒々しい岩山のオークレー山がそびえていているのがよく見える。そして、何よりも見渡す限り草原が続く光景は気持ちがよい。

天気もよかったので、昨日乾かしきれなかったテントとフライシートを乾かしながら、デッキに寝転がって昼寝をする。

夕方になって、ハットには人が増えてくる。オーストラリア・クイーンズランドから職場の仲間と7人でオーバーランド・トラックを歩きに来ているのだという男性が話し掛けてくれる。どうも彼らとは一度すれ違っていたらしく、キアオラ・ハットに向かう途中の小川で僕が歩いているのを見かけたのだと教えてくれた。

この日は、夜中に何度か目が覚めたせいもあっては、一晩のうちにいくつもの夢を見る。使い方は間違っているのかもしれないけれど、まさに「走馬灯のように」次々と光景が出てきたというリアルな記憶がある。