NJP→ダージリン

f:id:gotouma:20170506000202j:plain
6時前に、コーヒー売りの掛け声で目が覚める。二等寝台とはいえ、完全に横になれるだけあってよく眠れた。バスや飛行機のリクライニングシートよりもよっぽど快適である。売り子に声を掛けてコーヒーを買う。NJPには8時到着の予定だったのだが、ダイヤの遅れで9時半に到着。ここからダージリンまではトイトレインに乗るつもりだったのだが、この遅れの影響ですでに出発した後だった。宮川さんと共に乗り合いジープと交渉をする。

7人ほど乗客が集まったところで出発。すぐにガソリンスタンドに入って給油。その間運転手が乗客から代金を請求し始めた。どうやら我々から集めた金をそのままガソリン代に充てているようだった。インドでは物価の割にはガソリンの値段が高く、日本とそれほど変わらないそうだ。あらためて発車して4時間かけて標高差2000mを一気に駆け上がる。車窓から過ぎ去っていく田園風景と、カーラジオから流れるインド歌謡曲はとてもいい感じである。だんだん酔い止め薬が効いてきてうとうとする。高度もだいぶ上がってきた頃、寒さで目を覚ます。辺り一面に霧が立ちこめていてとても寒い。あわててフリースを取り出して着込む。迎えのヨーロッパ系の女の子は羽織るものを持っていなく、伊藤がセーターを貸していた。

午後2時頃ダージリン着。バスを降りるとBuddistLodgeの客引きが声をかけてきた。ホットシャワー付きで150Rsとまあ安かったのでついていってみることにする。部屋は改装したばかりらしく内装もバスルームもとてもきれいだった。西向きだが大きな窓もついていていい感じである。念のため部屋代を聞くと200Rsだという。宮川さんは「話が違いますね、ほかをあたった方がいいかな」と不審そうにいった。話をさらに聞くと150Rsの部屋に案内してくれ、どうやら窓の有無で値段に差があるようだった。まあ条件は十分合格だったので僕らと宮川さんで一部屋づつチェックイン。

KungaRestaurantに行き昼食。ロックのかかるとても感じのいいきれいな店だった。EggFridRiceを注文すると、それは紛れもなくチャーハンだった。ついでにTibetanTeaを注文。これはブラックティーにバター・塩を加えたチベット風紅茶なのだが、間違えて砂糖を入れてしまい失敗。食事を終えて店を出ると、宿を探しているらしい日本人バックパッカーが声をかけてきた。ホテルの名前を告げると、彼は「僕最初そこに行ったんですけど、部屋を見てロビーに戻ったら、ザックの蓋が開けられていたんですよ。」と教えられた。僕らはもうチェックインも済ませたし、自前の南京錠だって持っている。面倒くさかったし、疑いすぎるのも疲れるので気にしないことにする。

その後3kmほど離れたチベット難民センターまで散歩。ダージリンの町は山脈の西側斜面に面していてとにかく坂が多い。地図では2本の道が併走しているように見えても、実はその間の高低差はとんでもなかったりする。難民センターまでの道も急斜面をジグザグに下っていくダージリンらしい道だった。難民センターはチベットからの難民の自立を目指す施設で、共同生活を営みながら民芸品の制作・販売も行っている。

物産展には民族衣装・カーペット等がそろっていて、壁にはダライ・ラマの写真も飾ってある。伊藤と宮川さんは「どてら」風の民族衣装が気に入ったらしく、二人とも買ってその場で店員に記念写真を撮ってもらっていた。そんな我々を見て別の店員がくすくす笑っている。店員は2人ともおばさんなのだが、顔立ちは日本人そっくりで、日本の田舎の物産展で買い物をしているような気分さえしてくる。

帰り道、バザールによって、来るべきトレッキングに備えて「Adidas」ブランドの綿入りコートを450Rsで買う。今日の霧のなかで、フリースとウインドブレーカーのみという防寒装備があまりに不十分だったことに気づいたからだ。露店でバナナを買っていると、4月から就職するという専修大修士二年の人に話しかけられ、一緒にKungaRestaurantで夕食を取る。彼は友人に勧められてこの1月にタイに行って以来突然旅に目覚めてしまい、立て続けにインドにもやってきたのだという。「いやー、僕深夜特急とか好きなんですよ」と熱く語っていたのがとても印象に残っている。

宿に帰り、ぬるめのホットシャワーを浴びて、ベッドに入る。夜中まで響き渡るカルカッタの喧噪とは違い、ダージリンの夜は静まり返る。インドに来て以来初めての静かな夜。