雑文集
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/01/31
- メディア: 単行本
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そう、小説家とは世界中の牡蠣フライについて、どこまでも詳細に書きつづける人間のことである。自分とは何ぞや? そう思うまでもなく(そんなこと考えている暇もなく)、僕らは牡蠣フライやメンチカツや海老コロッケについて文章を書き続ける。そしてそれらの事象・事物と自分自身とのあいだに存在する距離や方向を、データとして積み重ねていく。多くを観察し、わずかしか判断を下さない。それが僕の言う「仮説」のおおよその意味だ。そしてそれらの仮説がーー積み重ねられた猫たちがーー発熱して、そうすることで物語というヴィークル(乗り物)が自然に動き始めるわけだ。
村上春樹 雑文集
この説明に続き、「本当の自分とは何か?」を考え詰めた若者が、オウム真理教みたいな危ない方向に進んで行ってしまうことの仕組みを話している。
「本当の自分」なんというものはどこにも存在していなくて、「世界と関係する自分」という「関係性」こそが真の実体なのだということに気付きさえすれば、悶々とした閉鎖的な思考のループから抜け出せるというのに、それができない。
「ドーナツの穴」の実在を確かめることは、どれだけ精密な測定機器を使ったとしてもできないのと一緒だ。
「本当の自分」探しは、何もカルトにハマる一部の人だけでなく、(少なくとも00年代前半の)就職活動における「自己分析」にも通じるものがある。自分の価値や意味付けなどは、結局のところ周りとの関係性によって決まるものなのに、ひたすら内面を見つめれば見えてくるのだという誤解、あるいは「仕事の目的は自己実現にこそある」という安直な発想が、少なくとも当時にはまことしやかに宣伝されていたような気がする。
小説家が提示する「仮説の積み重ねが、自己に作用して発せられる熱」が、その様な「薄っぺらさ」に対抗する免疫になるのかもしれない。