僕はなぜエルサレムに行ったのか
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/03/10
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⇒エルサレム賞 - gt-uma
シモン・ペレス大統領には今でも申し訳なかったなと思っています。授賞式の始まるまえに彼に、「僕は十四年前に『ノルウェイの森』を読んだ。君の本は気に入っているよ」と言われました。確かに十年ほど前、彼が演説で『ノルウェイの森』を引用して驚いたことがあります。外交辞令ではなしに、ちゃんと読んでくれているんですね。
ところが、スピーチの途中から最前列に座っている大統領の表情がこわばってきました。スピーチが終わっても席から立とうとしなかった。みなが立って拍手をするので、仕方なく立ち上がりましたが、そのあともう和やかという空気はなかった。もちろん推測に過ぎないけれど、おそらく彼には彼の立場があったのでしょう。
でもエルサレム市長のニール・バカラットさんは、スピーチの後大統領の前で積極的に握手を求め、まっすぐ僕の目を見て、「あなたの意見は小説家として実に誠実なものだ」とほめてくれました。それは嬉しかったですね。
当たり前の話ですが、イスラエルにもいろんな考えを持った人がいます。みんなが同じ考え方をしているわけじゃない。大事なのは総論ではなく、一人ひとりの人間です。個人というのがすべての出発点だというのが僕の信念です。
全体的な総論としては、体制に対して批判的なメッセージを伝えなければならない一方で、その"体制に含まれている"大統領や市長や街の人々からは、個人として誠意あるおもてなしを受けていて、感謝の気持ちも感じている。という、難しく微妙な状況に置かれながらの、エルサレムへの探訪記は興味深い。
日本で受賞が報道されてから、パレスチナ問題について活動している人たちから問題提起があったのは、有意義なことだったと思いますよ。僕にももちろん言い分はありますが、どんなことだって賛否両論があって当然だし、たとえ僕が批判の矢面に立ったとしても、パレスチナで起きていることについてより多くの人が興味を持ってくれれば、それはそれで意味があります。大事な問題ですから。
ただ一方で、自分は安全地帯にいて正論を言い立てる人も少なくはなかったように思います。確かに正論の積み重ねがある種の力をもつこともありますが、小説家の場合には違います。小説家が正しいことばかり言っていると、次第に言葉が力を失い、物語が枯れていきます。僕としては正論では収まりきらないものを自分の言葉で訴えたかった。
こういう体験は実際にイスラエルを訪問したことによって、初めて記述されることになるわけであり、その国の置かれている政治的な状況だけを見て"ボイコットすべき"と正論を述べることからは、得られるものは少ない。
⇒活字中毒R:村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」
インタビュー記事の末尾で触れられている「ネットにおける正論原理主義」というキーワードが、いくつかのブログ記事で"これは何だ??"と議論を巻き起こしていたりもする。
⇒タグ「正論原理主義」を検索 - はてなブックマーク
記事中でも、このキーワードが唐突に現れてきているような印象も受ける。これについては(恐らくは中高年男性層をターゲットにしていると思われる)"文芸春秋という総合雑誌"の記事であることからも、インタビュー構成上のバイアスが掛かっているような気もする。