おもてなしの経営学

おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)

おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)

マイクロソフトのエンジニアの中島聡氏の新書。
肩書きが「Windows, Internet Explorer設計者」となっていて、実際に読んでみると、ユーザインタフェースのコアの部分を設計していたのだというのが分かる。学生時代に出版社のアスキーに出入りして、若かりし頃のビル・ゲイツスティーブ・ジョブズとプログラミングの勝負のようなことをしていたのだというくだりもある。
以下の引用はIT業界と製造業との比較。

アジャイルな開発手法とクラフトマンシップ
GMが根本的に見過ごしていたのは、工場で働く熟練工のクラフトマンシップの重要性である。GMに代表される米国の製造業が産業革命以来突き進んできたのは、製造工程を細かなステップに分解し、さらに各ステップにおいて専用ツールを用いて単純作業にすることで、低賃金の労働者を使って大量にものを安く作る手法だった。
トヨタGMと大きく違ったのは「カイゼン」と呼ばれる方法で、製造プロセスの向上に関して、実際に製造ラインで働くブルーカラーの人々に大きな主導権を与えた点だ。最近耳にする「セル生産方式」は、実はブルーカラーの労働者に対して、仕事への「誇り」や「愛着」を持たせることで、大量生産時代以前の熟練工が持っていたクラフトマンシップを取り戻せるメリットが意外に大きいのである。
日本のIT業界では下請け・孫請けに丸投げするゼネコン方式の非効率さや、いわゆる「下流」に属するエンジニアの劣悪な労働環境が問題になっているが、根本的な原因は、IT業界全体が当時のGMと同様な過ちを犯している点にある、と私には思える。
昨今、ウォーターフォール型に対抗したアジャイルな開発スタイルがエンジニアたちの間でもてはやされるのは、まさにこのクラフトマンシップを発揮して市場が必要とするものを効率よく作りたいという彼らの叫びである。そんな彼らの声に耳を傾けずに突き進む日本のIT業界は、GMと同じ道を歩んでしまうのではないか。

そして、以下はIT業界と建設業との比較。

たった1ページの仕様書から始まったウィンドウズ95
建設業界の場合、穴の掘り方やコンクリートの打ち方などは、すでに研究され尽くされた技術であり、建築現場で働いている労働者が、その場であれこれ工夫する余地などほとんど残っていない。99パーセントのクリエイティブな作業は、設計終了の段階で既に終わっているのだ。
しかしソフトウェアの場合、基本的にすべてが設計作業であり、プログラムの1行1行が担当プログラマによる創意工夫の産物である。具体的な案件に最も適した実装方法を選択する判断は、現場のエンジニアに委ねられているのだ。
そこでプロジェクトごとに、そのプロジェクトにとって何が大切なのか、何が優先事項なのかを明確にし、それを末端のエンジニアも含めて全員がしっかりと理解した上でものづくりをすることが大切になってくる。実行速度を優先して作るべきか、実行効率を犠牲にしてでもセキュリティホールをなくすことが大切なのか。スケジュール優先で作るのか、クオリティ優先で作るのか。しっかりと作り込んでからリリースするのか、リリースしてから少しずつ改良を加えるのかーーこれらの判断材料を全員がしっかりと頭に叩き込んで働くかそうでないかで、結果は大きく変わってくる。
私が今まで関わったプロジェクトでそのあたりがいちばんしっかりとしていたのが、マイクロソフトでのウィンドウズ95プロジェクトだ。立ち上げの時点で、プロジェクトを総括するデビッド・コールが「僕らは何を作ろうとしているのか」をわずか1ページの文章にまとめて、3年の間それをバイブルとして全員が一丸となって働いた。

Life is beautiful: ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている
筆者のブログにも書かれていることで、プログラミングを単純作業と見なしてしまうことの問題を指摘。
エンタープライス系の業務アプリケーション開発は、明文化されていない暗黙の業務ルールの固まりだったり、細分化された機能間の標準化・統一というのも重要な価値だったりするので、「詳細設計書が与えられた段階で、プログラマが創意工夫を発揮できる余地」というのは、確かにそれほどない現実があるはず。大規模開発で、COBOLJavaなど自由度を適切に制御できる言語を使いたくなるのも当然。
課題は、プログラミングの出来ない設計者による設計書の不備だったり、業務ルールが絶対視されて非効率な実装が受け入れられてしまう土壌にあるはず。そうであるならば、SEとPGを別人格・別単価と見なしてコスト削減をはかろうとする体制自体が問題のはずである。プログラマと客先の利用者までの間の風通しをよくしたり、そもそも同一人物が上流〜下流まで全部担うことはできないか。これらが、本当にコスト増につながるのか、あるいは、そのようなことが出来る人材は、本当に数少ない貴重な存在であるのか。昔ながらの「PG=単純作業」という思い込みが、判断を誤らせている可能性はないのか。必要なのは職能細分化ではなく、ビジョンの共有化かもしれない。