百科事典棒

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

「百科事典棒というのはどこかの科学者が考えた理論の遊びです。百科事典を楊枝一本に刻みこめるという説のことですな。どうするかわかりますか?」
「わかりませんね」
「簡単です。情報を、つまり百科事典の文章をですな、全部数字に置き換かえます。ひとつひとつの文字を二桁の数字にするんです。Aは01、Bは02、という具合です。00はブランク、同じように句点や読点も数字化します。そしてそれを並べたいちばん前に小数点を置きます。するととてつもなく長い小数点以下の数字が並びます。0.1732000631・・・という具合ですな。次にその数字にぴたり符合した楊枝のポイントに刻みめを入れる。つまり0.50000000・・・に相応する部分は楊枝のちょうどまん中、0.3333・・・なら前から三分の一のポイントです。意味はおわかりになりますな?」
「わかります」
「そうすればどんな長い情報でも楊枝のひとつのポイントに刻みこめてしまうのです。もちろんこれはあくまで理論上のことであって、現実にはそんなことは無理です。そこまで細かいポイントを刻みこむことは今の技術ではできません(略)。中に詰められた情報量は楊枝の長さと関係ありません(略)。問題はソフトウェアにあるのです。ハードウェアには何の関係もありません。それが楊枝であろうが二百メートルの長さの木材であろうがあるいは赤道であろうが、何の関係もないのです」

ハードウェアである肉体には限りがあるけれど、記憶というソフトウェアは永遠でもあり一瞬でもある時間性を超越したものだ。

宗教性を注意深く排除したときに「死後の世界」なるものがあるとすると、鮮明な記憶の世界のことを言うんじゃないかと思う。とっくに忘れてしまったような昔の記憶にも、その時の自らの感情や周囲の人の感情も含めた客観的・主観的記憶に即座にアクセスできるし、気に入ったところがあれば何度でもリピートできる。

無人島に何か一冊だけ本を持っていくとしたら?」

やはり、できるだけ充実した内容の詰まった一冊を選びたいと思う。

(大往生した祖母の葬式を終えてのエントリ)