続・続・人質

テレビの話題の中心は,人質事件から米軍の虐待事件にシフトしてしまっているけれど,何となく自分の中で気になり続けている.それは人質だった人達に対するバッシングに息苦しさを感じつつも,やはり自分自身も人質だった人達やその家族に対して根本的な違和感を感じてしまっているという,二律背反性によるのかもしれない.

でも彼らは僕の言うことを信じないだろう。彼らはテレビの言うことをそのまま信じているのだ。(略)
「あの連中は誰なんですか、いったい?」(略)
「彼らはいつも熱心にテレビを見ています。だから当然のことながら、あなたはここでは嫌われています。(略)」
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

テレビから流れてくるインタビューを見て感じた違和感は,まぎれもなく自分自身の内面から生じたものであるにもかかわらず,その感情を引き起こしたのはマスコミによってプロセスされた二次的な情報に過ぎない.この事実こそが僕が怖いと思っていることなのかもしれない.
ニュースショーのキャスターは決して彼/彼女の意見を押し付けるわけではない.ただインタビューでの発言を切り出した映像を流し,ため息をつきながら次のニュースに進んでいく.だけど,それを見る多くの人はそこに込められた暗黙のメッセージに感応して,あらかじめ用意された感情を自分自身の中に抱くことになる…
どこまでが本当の「自分の意見・感情」で,どこからが「テレビの言うこと」なのか,その境目が見えにくい.