うつろな人間

森監督は善と悪の二元論で対象を把握し思考を停止してしまう傾向を懸念する。(略)「地下鉄にサリンをまくことが人々の救済につながると思い込んだ教団と、信者はみな洗脳されて感情を失った殺人集団だと短絡してしまう僕らはどこか似ている」と森監督。
(日本経済新聞「オウム闇の決算〜教団、自分たちの問題〜」04/02/21)

森達也さんは,オウム真理教ドキュメンタリー映画A [DVD]」を撮影した監督らしい.僕自身はその映画を見たことは無いのでよく分からないのだけど,内容が「オウム寄り」であるとの批判がなされ,「反社会的映画」というレッテルが貼られたのだという.

うんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。(略)想像力を欠いた狭量や非寛容さ、ひとり歩きするテーゼ、空虚な用語、纂奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

僕もそういうのは怖いと思う.だけど「うつろな人間」にならないでいることは,相当に難しいことでもあるんだろうなとも感じる.