ダージリン→トングル(トレッキング)

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5時半起床。部屋でバナナとクッキーを食べてバスターミナルへ向かう。昨日のうちに、マニパジャン行きの乗合バスがある事は確認しておいたのだが、どうしても見つからなくて乗合ジープをあたってみる。ちょうどカルカッタからの列車で乗り合わせたドイツ人カップルが、やはりマニパジャンに向かうためにターミナルにやってきた。料金は割高になるが、11人乗りのジープを4人で雇う。ジープの車窓から遠くに雪に覆われたカンチェンジュンガ山脈を眺める事が出来た。

マニパジャンのチェックポイントで入山登録をして、8時ころから登り始める。サンダプクーまで続く道は"Jeepable Road"という名前で呼ばれてはいるが、ゴロゴロした岩を敷き詰めただけの荒れた路面である。まあ歩いて行くには十分快適でハイキング気分で進んでゆける。マニパジャンの町からざっと1時間ばかりの間、二匹の犬が僕らについてきた。どこまでもついてくるので不思議に思っていたのだが、休憩中の油断したすきに僕の持っていたパンを咥えてどこかに行ってしまった。

1時間ほどすると森が開けて、道の両脇に派手な色の幟がいくつか立てられていた。しばらく歩くと"SunriseHotel"という小さなホテルがあり、中に入りミルクティーを飲む。奥の部屋からお経が聞こえていたのだが、しばらくしてオレンジ色の袈裟を身に纏った若い僧がやってきて、今日は特別なお祭りの日なのだと教えてくれた。支払いのとき10Rsからお釣をもらおうとすると、「1Rsでキャンディー3つ」といって12個のキャンディーを手渡してくれた。

再びせっせと登り始める。景色が開けたところがあったので休憩をしようと道をそれると、一人の老人がやはり休憩していて、こっちへこいと手招きをする。隣に座ると、彼が食べていたサモサというスナックを分けてくれた。僕も持っていたクラッカーを渡そうとするがとんでもないといって受け取ろうとしない。僕が日本人である事を知ると、「我々の住む地域ではお金の事をYenと呼んでいる。どこかで日本とチベットはつながっているのだ。」と教えてくれた。そして「おまえはBuddistか?」と問い掛けてくる。

僕は仏教徒なのだろうか。「僕の母や祖母は、毎日お経を唱えている。だけど僕は正月や法事などの特別な時にだけ、自分が仏教徒である事を思い出す。たぶんほかの多くの日本人も同じようなものだろう。」その答えに自分でも疑問を感じながら、しどろもどろになって答える。その後も老人は日本についていろいろ質問してくる。「日本では学費を政府が補助してくれるのか?」「病人や老人に対して政府は補助金を出してくれるのか?」がんばって返事をしているうちに、知らないうちに日本の戦後経済成長・現在の停滞を、つたない英語で説明しようとしている自分がそこにいる事に気がつく。

メグマの村に到着して、老人と別れる。道の分岐点に立つレストランで昼食。カレー・チャパティ・ライスなどが一つのお盆に載ってくる「ターリー」を食べる。人里離れた小さな村のレストランなのに、かなりしっかりした昼食を取る事が出来た。食後、108体の人形が祭られている寺院を開けてくれて、中を案内してくれた。雲行きが怪しくなってきたのでトングルのTrekkers Hut に向けて出発する。

1時間ほど歩いてTrekkers Hut 着。まもなくあられが降りはじめて、雷を伴って激しく降り続け、ほんの数時間であたり一面白銀の世界に変わってしまった。トングルにあるTrekkers Hut は、政府が建物を作り、チベット人の二家族で経営をしている公営の山小屋である。山小屋とはいっても、建物はしっかりと作られ、ベットと毛布も備え付けられている。朝晩にはかなりしっかりした食事も出される。日本の山小屋と比べても、圧倒的に設備はしっかりしているのではないかと思う。しかもそれだけのサービスすべて込みで110Rs、250円程なのだ。

今日の泊まり客は僕らとスイス人の老夫婦の4人だけだった。奥さんのほうはチベット系の人で、山小屋の人とも現地の人の言葉でやりとりをしていた。夕食時、4人でダイニングに集まってランタンの火を囲みながらターリーを食べる。出発前に想像していた「ヒマラヤに向かってトレッキング」といった過酷なイメージとは正反対で、とてもサービスの行き届いたすばらしい時間を過ごす事が出来た。