カルカッタ→NJP

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7時半起床。YMCAの食堂で日本人のおじさんと話す。ここ12年間毎年インドを訪れているのだといっていた。9時頃地下鉄でカーリー寺院に向かう。カルカッタはインドで唯一地下鉄が走っている町である。料金は3Rsからとバスより若干高い程度なのに、駅構内に入ると町の喧噪は止み、人影もまばらになる。そしてプラットホームの広さは尋常ではない。実用の範囲を遙かに超えた広さの整然とした地下空間が広がっている。戦争時に防空シェルターとして利用することを想定して作られているのだということが一目瞭然である(地下鉄構内は写真撮影厳禁)。

カーリー寺院は「カルカッタ」の地名の由来にもなっているヒンドゥー教寺院である。敷地にはいると、いきなり胡散臭いインド人が靴を預けろと話しかけてきた。そして僕が本堂に入ろうとすると今度は入り口に立ちふさがり、花輪を10Rsで買えと迫ってくる。「そんなものいらない」と僕がいうと、「おまえはヒンドゥー教徒じゃないから花が必要なんだ」と答える。「僕の前に入った欧米人は花を持っていなかったぞ」というと、「彼は結婚しているから必要ないんだ」とめちゃくちゃな理屈で反論する。

それならばと「僕だって結婚しているさ」と嘘をつく。彼は僕の隣にいた伊藤を指さして「おまえはこいつと結婚しているのか」とからかってくる。だんだん面倒くさくなってきたので「そうだそうだ、こいつと結婚しているんだ」と適当にあしらって本堂に入ろうとするが、彼の仲間と見られる連中も一緒になってニヤニヤしながら行く手を塞いでくる。だんだん腹が立ってきたので、インド人たちに向かって日本語でべらべらとまくしたてると、彼らもベンガル語で言い返してくる。

このやっかいなインド人は「地球の歩き方」にも「悪質ガイド」として紹介されている有名人である。いくら何でもこんな奴に金を払う日本人旅行者はそんなにいないと思う。彼らは遊び半分で旅行者をからかいながら、稀にやってくるカモから小金を巻き上げて暮らしているのではないかと想像する。こんな奴らがいることも驚きだが、こいつらを境内でウロウロさせたまま、何ら対策をとらない寺院も寺院だと感心してしまう。

そんなこんなをしているうちに、境内に鐘の音が鳴り響く。そして人混みの方にゆくと、生け贄として捧げられた子羊が、斧で処刑された。あたりに嫌な臭いがたちこめる。これはガイドブックの見所にも紹介されていたのだが、好奇心が満たされるというより、嫌なものを見てしまったという後悔の方が大きかった。帰り道、物乞いの子供が僕の服の裾をつかみながら、ひたすら後をついてきてバクシーシ(喜捨)をねだった。その子供は結局地下鉄の入り口までついてきのだが、僕は何も与えなかった。僕には虚ろな目でひたすらついてくるというやり方が作為的に見えてしまって、心が動かされるというより、たかられているような気がしたのだ。

地下鉄でチョーロンギ通りに戻ってBlueSkyCafeで昼食。イギリス人のバックパッカーと相席になって話をしたのだが、途中僕の文法や発音の間違いを事細かに指摘してくる。単純に親切心から英語を教えてくれたのかもしれないが、僕は英国人の英語に対するプライドのようなものを感じてしまう。

その後インド博物館に行く。建物も噴水のある中庭もとても豪華なのだが、展示内容はどれも中途半端でぱっとしなく、一貫性もない。暑さのせいもあって、中庭に面したベンチで二回ほど昼寝をしながら時間をつぶした。社会見学の様にも見える、制服を着た子供たちの集団がやってくる。そのうちの一人が僕の持っていたガイドブックに興味を持ったらしく、隣に座って色々ベンガル語で問いかけてきた。もちろん何を言ってるか理解出来ないのだが、彼は僕らに興味を示したらしく隣に座って話しかけてくる。先に進んでしまった友達に呼ばれてやっと立ち去っていく。昨日から色々疲れる目に遭ってきたので、こんな何でもない出来事にもホッとさせられた。

YMCAに荷物を取りに戻り、パーク通りのエアコンの効いたカフェで休憩し、郵便局でエアログラムを買って、シアルダー駅方面のバスに乗った。しかし、鉄道の陸橋を渡ったことに気がつかず、バスを乗り過ごしてしまいあわてて下車する。来た道を歩いて引き返したのだが、その町並みは貧民街といった雰囲気であった。だが特別身の危険を感じるような雰囲気ではなく、しばらく歩くうちに駅にたどり着いた。

インフォメーションで発車番線を訪ねてプラットホームのベンチで発車時間まで待つ。駅には改札口はなく、物売り・物乞い・ポーターや様々な人々がホームの上を行き交う。プラットホームに繰り広げられる風景は、よく言われるとおりインド社会の縮図といった雰囲気であった。列車がやってきて、駅員の助けを借りて自分の乗る客車を見つけだす。二等寝台の6人掛けコンパートメントは、外国人オフィスで予約したためかすべて外国人旅行者で、僕らの他にドイツ人カップルとラテン系の女性一人、そして日本人の宮川さんという構成だった。宮川さんはマドラスから3日間連続で夜行列車を乗り継いで、一気に東インドまでやってきたのだという。若い感じの人だったがもう30歳を越えているのだという。9時頃寝台を降ろして消灯。シートの上に寝袋を敷いて眠りについた。