カルカッタ

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朝7時頃に目覚める。YMCAの朝食はインド風おかゆ・トースト・オムレツ・バナナ・紅茶と取っ付きやすいものであった。9時頃街に出る。と、すぐにインド人が声をかけてきた。「僕はバラナシから来た旅行者です。僕がインドのことを教えてあげるし、君は日本のことを教えてくれないか。いっしょにチャイでも飲もう。」そしてすぐに、彼の友人だという人がやってきて僕たちに握手を求めてくる。いかにも胡散臭い展開だが、ついて行くことにする。

公園の中を歩き、チャイ屋台の前に着く。小銭の持ち合わせがないというと、「とんでもない、奢ってあげるよ」というので、ありがたくご馳走になる。チャイを飲みながら世間話をする。「カルカッタはゴミゴミしてるだけだ。早く別の街にいったほうがいい」とか「ウエストバックを後ろ向きにつけると危ないよ」とか色々親切なことをいってくる。僕らが両替したがっていることを知ると、レートの良い両替屋に連れていってくれるというので、ついて行く。

ニューマーケットの中にある両替屋は特別怪しい雰囲気も無く、バンクレシートもちゃんと発行してくれるという。そこで$200を両替することにする。昨日の教訓を踏まえて、細かい札をたくさん用意してもらうように頼むと、50Rsのホチキスで閉じられた札束をドーンと渡されてびっくりする。札束をすべて数え終わって、無事に両替を済ませると、バラナシからの二人組みは「僕たちはこれからサリーの安い店にいくんだけど、一緒にこないか」といってくる。大体なんでただの旅行者がここまでカルカッタの街を詳しく知ってるのかと、完全に疑っていたのだが、まあ親切にしてもらったしということで彼らについて行くことにする。

同じニューマーケットの建物の中にあるサリー屋に着くと、奥に通される。そこはマットが敷いてあって、靴を脱いであがるようにいわれる。店主が出てきてサリーをいくつも広げ始める。するとバラナシ二人組みは「僕たちが本物の見分け方を教えてあげる。それに僕たちといっしょなら、君たちもIndianPriceで買い物ができる。ぜひ買うといい」といって、品物を手に取る。そして「これはプリント柄の安物だ」といって店主にもっといいものを見せるようにという。店主は別のサリーを持ってきて次々と広げていって、気に入ったものを選べという。バラナシ二人組みも「さあ、気に入ったものはどれだ、いくらなら買う?」といってくる。

「ガイドブックの手口そのままじゃないか」と考えていると、突然二人組みの一人が「君は僕らのことを疑っているだろう」といってきた。「とんでもない、それに僕らは君たちが買い物をするというから、それについてきただけじゃないか」と言い返す。すると「怒るのは良くないぞ。僕はバラナシでマフィアの一員なんだ。腕力で勝負してもかまわないぞ。」と言う。「おいおい、今度は脅しかよ。面倒くさいことになったらやだなあ」としばし考える。

僕は「I can’t buy in your shop, because I know your way of shopping」といって、「地球の歩き方」を取り出して、「トラブル事例集」のページを彼らに示して内容を伝える。「君たちのやり方は、この本に書いてあるとおりなんだ。だから僕は買い物をすることはできない」といった。そして伊藤にそろそろ帰ろうと提案する。しかし彼はまだ見ていたいと言う。確かにここで商品知識をつけておくのも今後のためには役に立つのかもしれないが、僕はもういい加減疲れていてこれ以上ここに残る気はなかった。そこで更に説得しようとすると、二人組みが「彼も大人だし、君も大人だ。彼が買い物をしたいというのは彼の問題であって、君の問題じゃない」と言ってくる。確かにそうだと思い、待ち合わせの時間を決めて僕はサリー屋を去った。

ニューマーケットの出口まで店主が送ってくれた。そして「君は紳士的だった」といってくる。いろいろ売りつけようとしておいて何が紳士的だよと思ったのだが、ふと考え直す。ああやって店に連れてこられて奥の部屋でいっぱいサリーを広げられたりしたら、確かに取り乱してしまって、買わなければという心理に陥る旅行者もいるかもしれない。だけど、彼らは別に買うように力ずくで強要したわけではないし、実際に僕が帰ると言い出しても特別引き止めもしなかった。ボッたり、脅したりと、確かに日本の感覚で行けばとんでもないやり方だが、インドではこれも商売の範疇なのかなあ等とホテルの部屋で考えていた。

12時頃伊藤がホテルに帰ってくる。絶対高いもの買わされてるだろうなと予想していたのだが、彼が買ったのは50Rsの小さなカバン一つだった。BlueSkyCafeに行き昼食。この店は安宿街の真ん中にあり、中は長期滞在していそうな欧米人バックパッカーでいっぱいで、端の方には日本人の女の子4人連れなんかもいたりする。スウェーデンから陸路はるばるやってきたという看護婦の人と相席になり世間話をする。途中僕が発音する"Vacation"が何度いっても聞き取ってもらえず、英会話力のなさを痛感する。

店を出てミニバスに乗ってBBD.Bagまで行き、外国人鉄道予約オフィスに向かう。インドのバスには必ず車掌が乗っていて、バス停に人が立っているのを見つけると、窓ガラスをバシバシ叩いて運転手に止まるように合図を送る。とにかくバシバシやるので初めのうちは、何事かとびっくりしてしまう。また、とりあえず客はバスに乗り込んでしまい、しばらくたってから車掌が運賃の請求にやってくる。どんどん入れ替わる乗客の中から、未払いの人を目ざとく見つけだすその記憶力は職人技である。

カルカッタの予約オフィスにはコンピュータで予約・発券作業を行う係員の他に、Request Form の記入方を親切に教えてくれる専任の案内役がいる。オフィスに行くと、案内役氏が流ちょうな日本語で話しかけてきた。記入を終えて順番を待っていると、彼が書いた手紙を添削してくれと頼まれる。手紙の中には「あなたの言葉を聞いて、私の人生に一筋の光が見えたました…」などど哲学的な文章がしたためられている。「だいたい正確な日本語ですよ」といって手紙を渡すと、彼は「あなたは天理教を知っていますか?」と問いかけられた。何だそういうことだったのかと納得。

その後、町の中心部の露店が連なる通りをひたすら歩いた。このあたりはひたすらゴミゴミとしていた。大通りを走る車は常にクラクションを鳴らしながら走っている。かなり太い通りなのに車線を区切る白線なんて存在しない。さらにカオス的なのは交差点である。信号機は一応あるのだが、それに従っている車はいない。信号機とは別の何らかのルールに従って、どちらか一方向の交通が流れていて、もう一方向はちゃんと停止している。歩行者もその流れがわかるようで、ちゃんと車の切れ目に横断をしている。しかし僕には3日間の滞在中、とうとうその横断のルールがわからず、インド人に続いてあわてて横断するしかなかった。

夕方、フーグリー河に沈む夕日を見ようとカルカッタ公園の中を歩いて行く。が、予想外に距離があり、河岸に到着したときにはすでに日は沈んでしまっていた。あきらめて、夕食を取りに中心部に向かう。夜のカルカッタの町は暗く、仕事帰りの人並みにもまれながらひたすら歩いていたら、くたくたに疲れ果ててしまった。

ガイドブックに載っていた"Amber"は入り口にボーイが立っているような高級なレストランだった。ポロシャツにボロボロのチノパンという自分の服装に入るのを躊躇するが、結局入ることにする。テーブルでメニューを眺めるが、まず何を頼めばいいのか全く分からない。ガイドブックを取り出せるような雰囲気ではもちろんない。とりあえずタンドリーチキンを頼み、ナンとカレーであると思われるメニューを注文する。だいたい予想通りの品物が出される。味は最高であった。勇気を出して店に入った甲斐があったと思った。そしてそれだけ食べて日本円に換算すると二人で900円。まだルピーの物価感覚がつかめていなかったのだが、単純に安いと感動した。